人は悲しもうと思えばいくらでも悲しめると僕は思う。悲しいと感じる映画や音楽を聴き続ければ自己が擦り切れるまで悲しみ続けられると思うしそれは自傷行為に等しい。
そんな悲しみのドラッグも慣れてしまえば物足りなくなる。もう感じ疲れた。淡々とした鬱のための心地よい布団が私の心には敷かれていて、くつろいでいる。内側と外側がわからない私もその布団から出られない。
何枚毛布をかけて、変わらない皮膚の骨の肉の形のまま久しぶりっていうんだろう。
前はこんなこと思わなかったのに。
でも誰も気づきやしないんだ。
パンの感触が優しくて好き。
変形した。